3.11 東日本大震災では最後の砦となった仙台社会保険病院
今でも「がんばろう東北」、「がんばれ!東北」、「がんばろう!日本」のポスターが。 |
仙台社会保険病院は、震災直後に24時間体制で透析患者を受け入れたことで知られている。まさに、最後の砦となった。
ウエちゃんは、実は3月10日からアメリカに出張していたため、あの3月11日は日本にいなかったのである。帰国の途に就いたのが3月22日。その帰国便で手にした久しぶりの日本の新聞。その特集記事でたまたま仙台社会保険病院の奮闘ぶりがレポートされていた。
何という偶然。詳しい内容は忘れてしまったが、スタッフ全員が不眠不休で数日間フル稼働。周辺で被災した病院の透析患者を24時間体制で受け入れていたというエピソードが紹介されていた。
「震災により、病院の中央部に位置する第2病棟の壁面に穴が開いてしまったため、同病棟にいた入院患者全員を最も築年数の少ない第3病棟および健診センターに分散避難させました。」(「東洋経済オンライン」より) |
当時の様子を紹介している記事やブログをいくつか紹介しておこう。
- 人工透析患者の最後の砦として役割発揮、一方で病棟が被害受け建て替えが必要に|東洋経済オンライン
- 仙台社会保険病院 透析患者の命つなぐ 37施設から 震災直後の3日、毎日600人|しんぶん赤旗
- 仙台社会保険病院について思う |bubuのブログ
ウエちゃんの入院日程も当初の4月から6月に延期に
ウエちゃんの扁摘パルスは、当初は次のように予定されていた。- 4月1日~:扁桃摘出(仙台赤十字病院)
- 4月10日前後~:ステロイドパルス療法(仙台社会保険病院)
まず、仙台赤十字病院から電話連絡が入る。当面は被災者の皆さんや重症の患者さんを優先したいので、手術を延期させてほしいとのこと。二つ返事で了承。そもそも、東北新幹線が不通だったし、JR在来線も東北自動車道も、そして仙台空港も復旧の見通しが立っておらず、東京から仙台へ行く手段がなかった。堀田先生にもメールで相談し、ひとまず東北新幹線の復旧を待とうということに。
そして、4月下旬に東北新幹線が無事復旧。5月2日に堀田先生の外来予約をとって受診。
意外と "乗り鉄" なので、新型の「はやぶさ」を予約してみた |
「やっぱり、蛋白も潜血も少し出ているね。できるだけ早くやってしまおうか。ウチのクリニックの開業も少し遅れちゃうし、それを待つよりもその前に社会保険病院でパルスして、その後の外来診療は私が最後まで責任持ってやりますから。まずは、赤十字病院の予約をしてみてください。向こうも、たぶんもう大丈夫なはずだから。」
というわけで、仙台赤十字病院に電話して扁摘手術の入院日を予約。6月13日(月曜日)からの入院が決まったという次第。
臨時の入院患者用病室をに入院することに
実は今回の入院にあたって、当初予定していた4月の入院申込み時には個室の希望を出していた。約3週間の入院期間中、ノートPC持参で仕事をこなさなければいけないからだ。
ところが、仙台赤十字病院からの転院の前日、仙台社会保険病院から電話があり、個室の確保ができないと告げられた。堀田先生からも腎科の病棟が被災して閉鎖されているとは聞いていたので、それはしかたのないこと。現在の状況は次のようになっていると説明を受けた。
- 別の棟にある会議室等を入院患者用の病室にしている
- 個室はなくて、全員6人部屋になる
- 臨時でベッドを入れた部屋なので、冷蔵庫やテレビがない
- ほぼ満床なので、窓側でも廊下側でもなく、3列並びの真ん中のベッドになる
- カーテンのある部屋もあれば、カーテンがない部屋もあったりする
しかし、ここは仙台。そして、ここでの治療は自分が望んだこと。むしろ、被災してからまだ復旧も万全ではないのに入院できることに感謝すべきだろう。
<ゆってぃ>ちっちゃいことは気にすんな、それ、ワカチコ、ワカチコ~</ゆってぃ>
いよいよ仙台社会保険病院へ転院
さて、当日。朝10時前に受付を済ませて、部屋へと案内される。この時点でも、頭の中は "野戦病院" のイメージ。着いたのは、健康管理センター2階にある一泊人間ドックのフロア。ここに腎科が一時避難しているようだ。
いざ、部屋に入ってみると、中は意外と広い。ベッド周りも十分なスペースがある。ベッドの他には、高さ1メートル弱の小さいラックとパイプ椅子が一つずつあるだけ。あとは、廊下に小さいけどロッカーがある。
荷物を出しながら、自分の生活スペースを作っていく。そのとき、電源がないことに気がついた。あれ、この部屋、電気使えないのかな? 看護師さんに聞くと、延長コードがあるということで用意してもらった。しかし、自分のベッドからは遠くて不便かも...。
最初は3列並びの真ん中のベッドに案内されたが、ちょうど窓際の人が入れ替わりで一人退院。さらに、向かい側の人も退院。目の前のベッドが二つ空いた。すると、看護師さんが「窓側に移りますか?」と天使のような微笑。もちろん即移動。近くに電源もあるので、もう満足。
フォトギャラリー: 被災後に腎科入院病棟の避難先となった一泊人間ドックフロア
健康管理センター2Fにある一泊人間ドックのフロアが腎内科の一時避難先 |
ウエちゃんが過ごした6人部屋 |
ベッドの脇には、小物を置くためのラックと訪問者用の椅子 |
ナースステーション代わりになった一泊ドック看護室 |
患者ごとのデータファイルの収納ラックは看護室前の廊下 |
看護室以外にも幾つかのスタッフルームがあり、廊下にも作業用テーブルと椅子 |
廊下に並ぶ患者用ロッカーの上には週刊誌、マンガ、文庫本にゲーム盤も |
腎内科の入院病棟では蓄尿装置を使うのが定番だが、避難中なので代わりに高さ50cmくらいのシリンダーに蓄尿。看護師さんたちの仕事が増えているのは確か。 |
トイレ内に2つある洗面台のうち、1つは尿のカップ洗浄専用 |
血圧測定器と体重計も廊下に並んでいた |
夜は完全に照明が消えてしまうため、ランタンを点灯。ちょっぴり屋内キャンプ気分。 |
一時避難先での4日間の入院生活をふりかえる
一時避難先の病室といっても、テレビと冷蔵庫がないだけで特に不便さは感じなかったし、不快なことも全くなかった。むしろ、ずっとここに居てもいいくらいだったかも。病棟や病室とは関係ないが、仙台社会保険病院の腎内科スタッフもかなりいい感じ。年齢層も若くて元気があるというか、扁摘で入院した仙台赤十字病院が "和み系" だとすると、こっちは "元気系" かな。どちらもホスピタリティが感じられるのがいい。引き続き、お世話になりまーす!
続きを読む:[ドキュメント 6.24 後編]東日本大震災で被災して閉鎖していた第二病棟が復活: 仙台社会保険病院
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