2010年12月23日木曜日

入院(腎生検)3日目~4日目: 開放性腎生検 & 安静

腎生検、無事に終わりました。安静解除まで長かったこと、長かったこと。

いざ手術室へ、でもその前に・・・

さて、昨日は浴衣に着替えた後、点滴を打ちながら待機。看護師さんが、手のひらにマジックで名前を書いてくれる。点滴は電解質液で、水分と最低限の栄養分を補給するためだとか。で、あと10分で手術室へ移動というタイミングで、最後のトイレへ。特に「大」は、ここで出し切っておかないと、後で大変なことになると思い、しばらくがんばってみる。その結果、それなりに出ました。

用を済ませて満足げに部屋に戻ろうとすると、部屋の前で可愛い看護師さんがじーっとオレを見つめている。どうやら、かなり待たせていた模様・・・。どうもスミマセン。そのまま部屋には戻らずに、手術室へ連行される。恐縮です!

とうとう手術台で仰向けに

手術室に入ると、そこにはテレビなんかで見る手術室そのままの光景が! 手術台に仰向けになって、カバーをかけられた後、浴衣を脱がされる。そして、血圧計と心電図を装着。左腕の手首に巻いてあるネームタグと右手の手のひらにマジックで書いてもらった名前を見せる。そして、手術の目的を自分の口で言う。

「腎生検のために、右側の腎臓から組織を採取する手術です。」

これらは医療事故の防止策の一つだと思うが、もう少し時間かけてやるのかと思ったらテキパキと進んで、ここまで本当にあっという間。そして、それまで電解質液だった点滴が、いよいよ麻酔に切り替わる。

「大きく深呼吸していてくださーい。」

看護師さんの指示に従って、スーー、ハーー、スーー、ハーー、ス・・・、堕ちました。気がついたら堕ちてた、もうそんな感じ。スリーパーホールドって、キマるとこんな感じなのかな? それはともかく、ホントにもうそこから先は記憶がありません。

全身麻酔のおかげで、あっという間に終了

そして、次に意識が戻ったときには、さっきの手術台の上にいるんだけど、何となく手術はもう終わった様子。気道を確保するためにプラスチックの管を口から入れられてたはずなんだけど、入れたのも抜いたのも記憶に全くなし。少し頭がぼーっとした状態で、ベッドに仰向けになったまま部屋へ移動。手術室を出るとこ、エレベータに乗るとこ、部屋に戻ってきてベッドに移されるとこ、意外としっかり記憶がある。両方の鼻の穴には酸素を供給する管がある。そういえな、右の脇腹に痛みは全く感じられない。でも、どうやら終わったらしいことはわかった。

そして、ここからが本当の勝負、苦痛の安静22時間

しかし、本当に辛いのは、むしろここからだ。翌朝9時半までは安静で、起き上がることができない。動いてしまうと、出血したり、腎臓を傷めてしまうからだ。気がつけば、おしっこの管も装着されている。部屋に戻ってきたのが、11時半くらい。これから明日の朝9時半まで動けない。22時間もあるじゃないか。このまま22時間じっとしてるなんて、ムリ、ムリ、ムリ、ぜーったい無理!と最初は思った。

くー、15年前の辛い記憶が一気に蘇える。あのときは針腎生検だったが、翌朝までずーっと仰向けに寝ていなければならなかった。寝返りは打てない。徐々に床ずれがしてきて、まー辛かったのなんの。

終わってみれば、意外と楽勝?

ところが、今回はさほど辛くはなかった。開放性腎生検だったこともあり、手足は動かしてよく、体の向きも切った右わき腹を上にすれば、横を向いてもよい。さらに、ベッドも上半身を30度くらいまでなら角度を上げてよいとのこと。これには、かなり救われた。最初は尿管の違和感から15年前の記憶がオーバーラップし、このまま22時間とか絶対無理 !! と思ったのだが。

写真: 上半身を30度起こした状態のベッド
30度って、意外と角度があるもの。

重宝したのはペットボトル用のストロー

そうそう、ベッドで上半身を起こしてはいけない状態が続くので、水分補給にはペットボトル用のストローが重宝した。ペットボトルのフタを付け替えるだけでよく、病院の売店に売っていたのを購入。

写真: 病院の売店で購入したペットボトル用のストロー
一晩で500ミリリットルのペットボトルを3本飲み干した

この日の晩御飯は、メニューをしっかり覚えていないが、おにぎり二つとおかずが二品だったかな。もちろん、完食しました。

よく頑張った。今日は自分を褒めてやりたい。それでは、アディオス、アミーゴス!

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